旅 「与論島/当時・日本最南端」  -168-

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昭和45年3月です、この時の旅行で、初めて「カラーフィルム」を使いました。当時は、焼付け代など、随分高かったですね、今から考えると驚異的な料金でした。

夕方、船は与論島に着きましたが、大きな船は接岸できないので、ハシケに乗り換えて上陸しました。宿は予約してません、民宿の人が、出迎えており、言われるまま軽トラックの荷台に乗り、民宿に行きました。
適当に部屋を振り当てられ(当然、相部屋)、夕食ということになりました。
なな・・何と・・、夕食のおかずは「インスタントラーメン」でした、「インスタントラーメン・ライス」というのでしょうか。最果てに来たという気持ちに浸りながら、かなり「のびのびに・・のびた」ラーメンを食しました。実に不味かったことは覚えています。何人、上陸してくるのか分からないので、こういうことにしてたのでしょう。

一部屋に5~6人同室になったかな。部屋主は、もう半年も滞在しているという、気のいい人でした。民宿の手伝いをしたり、砂糖工場(←原料/サトウキビ)で働いたりしているということでした。次の夜でしたか、分厚い大きな烏賊をとってきて、食べる時、ご相伴にあずかりました。あの刺身のおいしさは、これまで食べた中のベスト3に入りますね、本当に美味かったです。
風に吹かれ吹かれしてやって来ている人が、結構この島には、沢山住んでいるということでした。
当時の沖縄はアメリカの統治下にあり、行くにはパスポートが必要でした。与論島が日本最南端だったのです。
ですから、もうこれ以上は風に吹かれても、南下することはできない・・というところだったんでしょう、大学紛争挫折組も、かなり混じっていたと思いますね。

何年か前、オウム幹部の誰かかが、南西諸島のどこかの島で逮捕されました、今でも、流れ流れてそういうところに行くんだ、と思ったことでした。

上の写真は、城(グスクというんだったかな?)跡から撮ったものです、沖縄がウッスラと写っているのですけども・・、本当に近かったですね。テレビは沖縄の放送を受信していましたが、声が聞こえるだけで、全く絵になっていませんでした。

ホテルなどはありません、観光施設も全くありません。少しだけ民芸品らしきものを並べているところがあり、そこには若い娘さんがいるということでしたが、行きませんでした。私は、そんなことには興味がなく・・。
       ・・実のところ、そこへの道がよく分からなかっただけですが・・。

今は、一大リゾートになっているそうですが、「百合が浜」という美しいところがあります。干潮になると中州に真っ白な砂浜が出現します。
海に入ると熱帯魚が足をつつきに寄ってくる、ということでしたが、3月でまだそんなに暖かくなく、それは体験できませんでした。青い熱帯魚は沢山泳いでましたけどね・・。

与論島には、4日間くらい滞在して、あちこち歩き回りました。海は、本当に素晴らしくキレイでしたね。
晴れてなくても「青い海」というのも、初めて見ました。でも海は「青い空」を映しているから青いんですよね、だとしたらどうして・・青い?・・現在でも「私の謎」です。
いろいろと懐かしく思い出します。

海岸線はずっとこんな感じでした、何日目か、この海岸線を、歩いて島の「1/4」くらい回りました。
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こんなところで写真を撮ってもよかったのでしょうか・・。
柵もなにもないんですものね。この人、顔は完全にビビッテおりますし、体も逃げ腰となっております。風葬(?)の島でもありました。
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この記事へのコメント

2007年03月20日 22:14
人生さん♪
昔のカラー写真、なかなか味があるもんですね。
懐かしい感じで結構新鮮に感じたり~
お写真は人生さんの若い頃?
う~ん。なかなかのハンサム…♪
人生ゆっくり
2007年03月21日 06:46
昔のカラー写真は、パチパチ撮るわけにはいかないから、いろいろファインダーをのぞいた後、「決心して」シャッターを押していました。
今のデジカメは、ありがたくて涙が出てきます。
2007年03月21日 09:49
 カラーフィルムが出てきたのが、昭和45年頃でしたか。懐かしいですね。カラーフィルムが幅をきかす前、白黒フィルムの時は、自分で現像をした記憶があります。押し入れを現像室にし、小遣いを貯めて引伸機を買いました。カラー全盛時代になるとともに、自分で現像することなど考えることすらなくなってしまいました。そして今、フィルムカメラは、引き出しの奥にしまわれたままです。もっぱらデジカメが活躍しています。
人生ゆっくり
2007年03月21日 11:05
多分、もう少し前から使われていたと思いますが、何せ貧乏学生でしたから・・。
白黒写真も、なかなか味なものでしたね、昔の写真でも、色あせることがないのもいいと思います。
2007年03月21日 22:37
↑カラーフィルムの登場が昭和45年頃ってありますが、
そのころにもうインスタントラーメンはあったんですね。
チキンラーメンですか?(笑)
一番下のお墓の写真、手の指す方にはしゃれこうべ。
ひー!
目のあたりをボカシてますが、「え?!心霊写真???」って、マジ、思いました(笑)
人生ゆっくり
2007年03月22日 05:25
勿論、カップラーメンはありませんでしたが、袋入りインスタントラーメンは花盛りでした。チキンはもっと前です(怒)。
海で洗って、こいいうところに安置していた、と聞きましたけど、昔のものなんでしょうね。今はないかもしれませんよ。
2007年05月26日 22:47
昨日の私のブログにコメントいただいた犬の供出もあったという記事を探していて途中で与論島に寄り道してしまいました。実は今日「見知らぬわが町」と言う三池炭鉱の事を書いた高校生の本を読んでいたら明治時代30年頃にに与論島で大きな台風に打撃を受けた島民が集団で炭鉱労働者として移り住み囚人と共に働き低賃金、重労働を強いられた内容があったので興味があったのです。
なぜ囚人並に扱われたかと言うと島の文化を頑なに守って他の炭鉱労働者とも馴染まなかったので差別されたようです。島では風葬が当たり前だったのですね。美しい島で生活できなくなって捨てて来た先も地獄だった。と言うことで犬供出の件はまた後で・・・いつごろのブログですか?
人生ゆっくり
2007年05月27日 04:28
そういう出来事もあったのですか。そういえば西表島だったと思いますが、いつかの台風で、島の何分の一かの住民が亡くなったことがある・・なんて話を聞きました・・。
「犬猫の供出」は【-89-(06/11)】です、但し、大したことのない内容です・・。

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