甲州古道  -519-

先日の日曜日、市立博物館主催の「甲州道中 歩き ~民俗編~」というのに参加しました。

たんなる「古道歩き」ではなく、博物館やボランティアの方が、いろいろと説明してくれるという、なかなか楽しいウォーキングでした。
歩き、立ち止まり、説明を聞く・・というのは、結構、疲れるものです、多少のアップダウンもあり・・、私は全く大丈夫ですが、年輩の方は・・少しキツカッタかも・・。
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スタートはJR中央線・相模湖駅・・、そこから近い「与瀬神社」です。昔、甲州道中を歩いた人は、必ずお参りしたそうです。

確か昭和47年の春だったと思いますが・・、入社して寮に入った連中「何百人」かを引き連れて、歓迎ハイキングをしたことがあります。
陣馬山から歩き、その時、下りてきたのが・・この道でした。36年ぶりです・・、ポッポッポッとその時の思い出が浮かんできました。
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今回の道は、一部、中央高速道に沿っています、紅葉時期の日曜日にしては、クルマ少ないですね・・。向こうは「嵐山」です。
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相模湖の遊覧船です。当時の川は、ウンと下を流れていたハズです、そう考えますと、この古道が、随分と山の上のほうを通っていたのが分ります。
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さまざまな石仏の写真です。博物館の方に聞きましたら、文字だけのも「石仏」と呼ぶらしいです、顔かたちがあるものが、そうだと思っていましたけど・・。
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この馬頭観音は、大きさなど、実に堂々たるものだ・・そうです。
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浄光寺の閻魔さま達・・。全く関係ないのですが、実家の菩提寺は、浄香寺・・。
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その閻魔さまの前の「罪人」、後ろ手に縛られています、こんなの・・みたことないです。
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別の寺ですが、この「お顔」・・いいと思われませんか・・。
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六地蔵はよくありますが、これは3面に2体ずつ刻まれています、こういうのも初めてみました。
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「古道歩き」なのですが、殆どはアスファルト舗装の生活道路です。部分的に、こういう道がありました。
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吉野本陣跡では、現在のご当主のお話を聞きました。サスガに品のある方でした。
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大火で、当時の5階建ては消失したそうですが、この土蔵だけは生き延びたそうです、大学の先生の勧めもあり、保存されているとのことです。
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マレットゴルフ場です、初めて見ました。ゲートボールのスティックで、ミニゴルフ場をまわる・・という雰囲気ですね。
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終点のJR藤野駅周辺は、芸術家が沢山、住まわれていて、芸術村としてマチ起こしをやっています。その目玉でもある・・山中の「ラブレター」・・。
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ps)
①江戸幕府は、主要街道である「東海道」や「中仙道」などを『街道』といい、こういう道は『道中』といっていたそうです。厳密にはそうなのでしょうが、「甲州街道」ともいっていますね・・。
②よせばいいのに、フト思いついて、高尾駅から自宅まで、更に、1.5H歩いてしまいました、本当に疲れました。

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この記事へのコメント

2008年10月21日 18:34
説明を聞きながら古道を歩くのも、さぞ楽しいことでしょう。
それにしても健脚ですね。
相模湖駅は以前、与瀬でしたし、高尾駅は確か浅川でした。
地名、駅名も世の移りに従って変わるものですね。
ねこごは
2008年10月21日 20:03
まさかあれを歩くとは…
私はパンフ自宅に来たとき間髪いれず
『行けない!』と思いました
すごいなぁ!

与瀬、浅川ですか
今もその地名は地域の名前で残っていますが
駅名もそれだったんですね
なんか昔の名前の方が情緒があるような…
人生ゆっくり
2008年10月21日 20:41
loafer さん
そうだそうですね、今回のメンバーの、どなたかが言っておられて・・、「浅川駅」の名前を知りました。
「与瀬駅」という名前もあったのですね・・。

ねこごは さん
多分、70歳を超えているような方が・・少なくなかったような感じがしましたよ・・。
お元気ですか、諸事多難の折柄、無理をされませんように・・。タマにはノンビリと歩くのもいいですよ・・。
ぴあの
2008年10月21日 21:53
私の知らないところがイッパイあります。古道っていいですね。
それにしても
>入社して寮に入った連中「何百人」かを引き連れて・・・
何百人のウオーキングですか!
息が詰まりそうになりませんか?
ちょっと想像しただけで疲れちゃいました。
人生ゆっくり
2008年10月22日 11:14
私は責任者で、役員の連中がよく面倒をみてくれました。それに当時の若者は、何かと「聞き分け」がよかったですね・・。
ハイキングコースに延々と繋がっているのは・・なかなか壮観でした。

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