荻野吟子さん②  -829-

先日、日本で初めての女医になった、この人のことを書きました。
→【-826-】

↓文庫本の裏表紙の文言です。
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小説「花埋み」は随分と前に読んだ本でした。
前回の記事を書いた後、本の後半を読み返しましたが、内容は、すっかり忘れていました。
何とも「無念」な後半戦だったのですね、これはケジメとして書かねばなりません。

医院を開業しても、初めは「女が医者・・??」という感じで、医院の運営は、はかばかしくありません。
でも、時に「儲け」度外視の医院運営、往診も厭わず、そして、そもそも女医・・ゆえの女性患者の安心感・・。序々に医院として整備されていきます。

そんな中、近くのキリスト教会に参加するようになり・・、やがて基督教婦人矯風会の活動に参加します。
もとより積極的な性格ですから、水を得た魚のように活躍し、世間に、その名を知られる存在になっていきます。

この延長線上で、この人の物語が終われば・・本当にハッピーだったのですが・・。

ひょんなことで、13歳も年下の学生と出会います。あろうことか、その一途な求愛にOKしてしまいます。
やがて青年は、北海道の大地にキリスト教の理想郷を造るべく、単身出かけますが、それは、どうみても無謀な行動です。

明治27年6月に、吟子は、医院等を全て整理し、一人、北海道に向かいます。
東京駅で見送る沢山の人は、一様に「やはり行かれるのですか・・」、そして「どうして、このようなことに・・」と涙ぐみます。

北海道の開拓地での住まいは、掘っ立て小屋です。未開拓地の自然は厳しく・・、一人去り二人去り・・、結局、理想郷建設は破綻します。
近くの比較的人口の多い地で、ひとりだけで「医院」を開業します。
「こんなところで、貴女がくすぶっているのは忍びない・・」という人がいて、札幌に出かけて、旧知の医師に相談します。

その医師は、「この10年間の医療の進歩は凄まじいものです、札幌に出てこられるのは賛成しません・・」と苦渋のアドバイスをします。

辺境の医院での生活を続けますが、道内を巡回布教していた夫は、あっけなく急死します、41歳でした。
この本を読む限り、自己中心的で勝手な男です、こんな男に、13歳上のキャリアウーマンの吟子が・・、何故に・・。
ここら辺りの心の動きは、小説を読んでいても、よく分りませんでした。
人間というものは・・そういうものだ、と無理に納得しても、いかにも無念・・。

心臓発作で雪の道に倒れた吟子は、30分後に病院に担ぎ込まれます。
奇跡的に命は、とりとめたものの、回復後は往診などできる体ではなかったとのこと。
東京に帰り、7年後の大正2年5月、養女一人に看取られながら、62歳の生涯を終えます。

正直、この小説、最後のほうは再読などしなければよかった・・と思いました。

あれだけの凄まじいまでの努力で医師になった女性が、こんなにまでもの晩年・・。
渡辺淳一は、「吟子は後悔していなかった」などと書いていますが、果たして本当にそうだったのでしょうか、この「偉人」、後悔して欲しかった・・と、私は思います。

国立科学博物館で、この人の写真をみても、晩年、こんな物語があったなどとは、想像できませんね・・。

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