盛夏・ツライ 8月  -848-

延々と猛暑が続いています、皆様、お変わりはございませんでしょうか。

なにか、一年経つ毎に、夏の暑さが上昇しているように思えますが・・。
来年以降も、更にエスカレートするのでしょうか・・心配です。

8月は、毎年、切ない気持ちになる月です。
原爆投下、終戦・・、そして様々な戦争の話題、忘れられない日航機の墜落事故もありました。
当事者の方にとっては、文字通り「暑い熱い」月でしたでしょう。

今年は、再放送を含めて、それらに関連する番組が沢山、放映されました。
多くを録画していたのですが、その殆どを観終わりました・・、多分、20本以上は観たのではないでしょうか。

今年、NHKが力を入れており、しかも印象深かったのは、「市民」や「兵士」たちの「証言」をもとにした番組でした。
戦後65年にして「初めて語った」という番組が、いろいろとありました。
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水木しげるの朝ドラは、まもなく大団円を迎える時期です、この人が、熾烈な戦場に身をおいたことは知っていましたが・・これほどの理不尽な戦場だったとは知りませんでした・・。
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10万人の兵士がいる「ラバウル」近くのズンゲン支隊にいる隊員です。
オーストラリア軍が迫ってきます。実戦経験の乏しい若き隊長は、突撃を命じます、その通信を受けて「ラバウル部隊」の司令官は、「それはいかにも早い」、と慌てます、それを止めるすべはなく、東京に、全員玉砕を打電します。

ほうほうの体でラバウル基地にたどりついた敗残兵に、司令官は現地に戻って戦うことを命じます。それは意味のない戦いです。
「玉砕した」のだから・・、全く理不尽です。

一応「戦後っ子」の私も、「アッツ島玉砕」という言葉は知っています。
ところが、この玉砕の島からも、負傷の後、捕虜となり生存している方がおられるという番組もありました。
家族にも、このことは全く話していないとのことでした。
戦後、誰にも話さず、自分の記憶だけにとどめておく・・、そんな記憶は忘れられるわけがありません、その方の心情を察すると・・涙がでそうになってきました。

青年満蒙義勇隊として満州の開拓に参加した、10代なかばの少年の物語もありました。
自分達を置き去りにして退却していく関東軍の姿を、晴れ晴れとした気持ちで見ていた・・という証言もありました。その後の逃避行を思うと、これまた涙が出てきました。

何とも無様な物語もありました、国際条約で病院船は攻撃されない・・ということで、病院船に白衣を着せて、何千もの兵士を運ぶ作戦があったそうです。
本当に姑息な作戦です。
しかも、それは全て暗号解読されていて、連合軍には、出航の時から捕捉されていたとのこと・・。

部分的には知っていましても、きついナと思う番組もありました。
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戦時中のできごとには・・、まだまだ私が知らないことがあるようです。
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吉本が組織して中国などに派遣した「わらわせ隊」の番組もありました、戦時下の兵士の「屈託のない笑顔」には、救われる思いがしました。
その巡回団のアイドル「ミス・ワカナ」が、戦後ヒロポン中毒で、若くして死亡したそうです。最初にヒロポンをうったのは、その慰問団の際だったそうです。正直、これまた涙が出ました。

原爆投下のことは、何としてもどのように考えても・・許せません。とりわけ、あれだけの民主主義国家たるアメリカの公式見解が・・、今でも「原爆は正義」というのは・・どうしても納得できません。
この番組も、ドラマ仕立てでしたけど、何とも切なかったです。
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原爆に遭ったことを、これまでは話さずにきたが、少しずつ話そうとする人が増えてきている、という番組もありました。

原爆は、65年も経った現在まで、更にこれからも延々とつながっていく問題で深刻です。ここのところをアメリカ人は理解していない・・。
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いつも思うのですけど、どのように考えても、日本の戦いは絶対に納得できません。
真珠湾攻撃の後、勝っていたのは、わずか「半年」・・、以降、何年も何年もの敗北の連続・・、ドイツやイタリアが敗北しても・・戦争遂行・・、その責任を、戦後、いったい誰がとったのでしょうか。

A級戦犯は、日本が自らの意思で、断罪したものではありません。
もう殆どの「戦争責任者」は亡くなっているのでしょうけど・・。ここのところを、国としてキチンとケジメをつけないと、毎年毎年、このような思いに苛なまれることでしょう。

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この記事へのコメント

2010年09月02日 09:23
ご紹介の番組のほんの少しをみました。辛くて、心に蓋をしなければいられません。
BSの外国のドキュメント番組だったか池波彰(?)氏の解説だったか忘れましたが、↑の記事にありますように、イタリアやドイツが負け、日本にもやめるように勧告されても続け、やむなく原爆を・・・と聞きました。原爆を正義ということには納得しませんが、もっと続けていたなら、どうなったのでしょう?
高齢の兄から、戦争に入るとき国民も”盛り上がって”いたと聞きました。それが戦争の一面なのかもしれませんが。
人生ゆっくり
2010年09月03日 06:15
日本の敗戦の「決め手」となったのは、「原爆投下」と「ソ連の参戦」と中学校の教科書にありました。
そうかもしれませんが、原爆投下がなくても、当時の状況では、早晩・・敗北宣言したと、私は思います・・。
アールグレイ
2010年09月03日 13:42
そうですね。敗北宣言したでしょうね。
姉のお姑さんは被爆者で、お義弟さんは体内被曝したそうです。今年97歳で亡くなったお姑さんもお義弟さんも、発症はないときいています。
人生ゆっくり
2010年09月03日 18:19
浅田次郎の新刊「終わらざる夏」を今日、病院の待合室で読了しました。近々、ブログ記事にしたいと思っています。
理不尽な戦争は・・イヤです・・。勿論、原爆も・・。
原爆投下の時間、遠く離れた私の鳥取県の田舎でも、異常な震動がしたそうです・・。

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