日本のシルクロード -1328

私の住んでいる近くに「絹の道」があります。
紅葉が終わる頃に、初めて歩いてきました。

地図の左下に「絹の道」の表示があります。
八王子から横浜につながっていた道の一部が保存されています。
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堂了堂跡に、こんな看板がありました。
シュリーマンやらアーネストサトウも歩いたと書いてあります、こういう「歴史の道」は楽しいです。
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周辺は典型的な東京郊外の住宅地です。
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堂了堂跡が、いま残る「絹の道」のスタート地点のようです。
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このような道が続きます、雰囲気は「とてもいい」です。
昔は石畳になっていたのでしょうか、石がゴロゴロしている部分もあります。
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「切通し」の趣きもあります。
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こんな説明板もありました。
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「絹の道」を出たところにある、八王子市「絹の道資料館」は無料です。
この日、私のほかの参観者は数名で、ユッタリと展示物やビデオを観ていましたら、何やら外がガヤガヤ・・、校外学習の場所にもなっているようです。
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何十年も前、相模原市の工場に初任配属され会社の寮に入りました、地名は聞いたこともありませんでした。
休日に近くをブラブラすることがありましたが、何か馴染めない風景だと思いました。畑はあるのですが「田圃=稲穂」の姿が全くないのです。

要するに相模川が崖の下を流れていて、台地の「水」が乏しかったので田圃はムリだったようです。それに代わって「桑の木」が、そこかしこに植えられていました、養蚕のためですね。
八王子は、その生糸が集結する地で、しかも横浜の開港以来、その需要が高まり、せっせと八王子から横浜へ運ばれたという・・、ここがその道の一部だったのです。

シュリーマンなどは、その道を利用して高尾山詣でをしたようですね。
ともかもく当時は、堂々たる主要街道だったのでしょう。

JR横浜線は、明治期に、八王子から横浜に、その生糸を運ぶ目的で敷設されたようです。この線路は地図で見ると、真っ直ぐに延びています、当時は周辺に何もなかったということでしょう。
ただ横浜線が全線開通した時には、八王子から東京を経由するルートが確立された後で、横浜線はシルクトレインとしての機能は、担えなかったということです。

そんなことを思い出したりしながら歩きました。

正面は多摩美術大学ですが、ここらあたりに来れば、ホボ地元ですから、ノンビリと橋本駅まで歩きました。
リニア橋本駅が出来ると(・・遠い時期ですが)、この辺りも変わるのでしょうか・・。
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