給糧艦「間宮」  -1580

戦争中の「日本軍」の話題や映像は、ツライものが多いです。

何故に、あのようにまでの絶望的な状況で兵士は、頑張らざるを得なかったのか、そんな戦争を強いた人は誰か・・。

私は、このNHK番組を観て初めて、少しだけ「救われた」思いがしました。
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間宮は「給糧艦」だったそうですが、この言葉も初めて知りました。食糧供給のほか、船内に「お菓子」製造の設備もあり、最大の名物は「ようかん」だったそうです。
この「間宮」の姿を、洋上に発見すると、周辺の艦船が一斉に寄ってきたそうです、何とも「微笑ましい」です。

久しぶりの「甘味」に喜んでいる兵士の姿が想像されます。間宮の乗組員も、それは楽しいことだったのでしょう。「ようかん」というのがいいですよね、甘くて力がつきそうです。

「欲しがりません勝つまでは・・」の時代の、少し前の頃だったのでしょうか。
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大戦中の米軍基地では、楽しいとは言えないでしょうが、少なくとも潤沢な食糧と酒、娯楽があったようです。一方の日本陣営での生活には、何もなく・・、あったのは憂さ晴らしの上官のいじめ・・。
自暴自棄にもなりますね、「慰安婦」の言葉が悲しく重なってきます。

そんな、ささやかな「幸福」を運ぶ艦船も撃沈され、何年間かが過ぎた後に敗戦。
あんな無茶苦茶な戦争の中に「間宮」という存在があったのは、一つの「救い」に思いました。

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この記事へのコメント

2016年01月11日 10:20
私の父親は応召して満州へ行き、ソ連に抑留されて昭和22年暮れに復員しました。
まあ早く帰れたほうでしょう。
それまで父親の顔は写真でしか知りませんでした。

戦時中はお菓子も配給で、母親が妹の手を引き、弟をおぶって、ロールケーキ1本を買いに出向いた記憶があります。
戦後も牛乳は乳幼児に1合ビン1本の配給が続きました。

私は終戦の翌年の小学校(国民学校)入学ですが、戦争を知る最後の世代でしょう。

戦争を知らない政治家や評論家などが、勇ましいことを言い出しているのが、ひどく気になります。
人生ゆっくり
2016年01月11日 17:50
厳しい時代を、実際に経験されたのですね。
私も、様々な本や映画・テレビなどで追体験していますが、勿論、その実態は分かりません。
どうぞ、その体験を大事になさって下さい。

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