給食  -1587

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「給食」には、いろいろな思い出を、お持ちの方が多いようですね。

残念ながら私には、その思い出がありません。山間部の小さな学校で弁当持参が基本でした。ただ学校から近いところに自宅がある連中は、昼休憩になると家に帰って食べていて、私もそうでした。

毎日、家で昼食を食べる・・、今となっては、これも不思議とも思う体験ですね。
高校も弁当でしたので、結局「給食」は食べたことがないのです。

給食の思い出はないですけど、こんな思い出があります。
小学校の頃、何年生かの担当だったのでしょうが、年に一回、山に出かけ「お茶の葉」を採集しました。それは冬期間、ダルマストーブの上の大きなヤカンに入れられて、弁当組の「お茶」になっていました。

その他、ストーブ上に、温めるため弁当がのせられていて、その臭いに「まいった」ことが何度もあります。
私の在学していた中学校では、その後、「味噌汁給食」なるものを始めて、地方紙に掲載されていました。
「お茶」よりも、このほうが、いいですよね。

こういった新聞記事の時には、必ず「脱脂粉乳」のことが書かれます、「不味かった」のでしょうか。
バターなどの材料になる成分を除いた後の「粉末牛乳」だと思います、私の家にも何時の時期か、ありました。ただ、前にも書きましたが私は想像を絶する「偏食」で牛乳も飲んだことがありませんので、脱脂粉乳の味は知りません。

現代の常識「いろいろな食物をバランスよく食べるべき」・・正解でしょうが、そうでなくても生きられることは、私は体験的に会得しています。(閑話休題)
また偏食なんていうものは、過度に心配する必要はありません。高校に入り下宿した途端、スグに何でも食べられるようになりました。

この記事へのコメント

ぴあの
2016年02月05日 20:40
脱脂粉乳を経験したといえば年齢がバレバレですね。
鼻をつまんで息を止め、一気に飲み込んでしまう。
子供心にそのような飲み方を会得しました。本当にまずかったです。残せば怒られるし・・・。でも今、こうして元気に過ごせるのもそのおかげでしょうねぇ。感謝せねば。
給食とは別ですが虫下しの「マクニン」?ご存知ですか。
出しこぶのようなぬるっとしたもの。思い出すたびにえづきそうになります。(汚い話で失礼!)
それを思うと今はなんと幸せなことか。
2016年02月06日 09:38
疎開から東京に戻ってから、小学校で給食が始まったと記憶します。
脱脂粉乳はまずかったですね。アメリカでは家畜の飼料だったそうで、「豚ミルク」と呼んでいました。
コメは玄米で、一升瓶にいれて棒でつつきました。コメの配給は少なく、トウモロコシやコーリャンまで食べました。
皆やせ細って、体のあちこちにおできができました。坊主頭に禿ができました。
大森には「おでき薬局」というのがありました。
それでも給食が命を支えてくれたことは事実で、感謝しなければなりません。

戦争を知らない人たちが政治を取り仕切っていますが、戦争は絶対にいけません。
大戦後70年、いまだに世界各地で戦乱に苦しんでいる人が気の毒に思えてなりません。
人生ゆっくり
2016年02月06日 10:01
ぴあの さん
どんな味だったのか、一度は経験しておくべきでした・・。
虫下しは学校で飲まされましたが、オレンジ色のドロップみたいな形でした。「ぬるっとしたもの」ではなかったのですが、大きくて、なかなかノドに入っていきませんでした。

loafer さん
「豚ミルク」ですか・・、給食があったら、私も飲んでいたのでしょうね。
戦中戦後でも「食べるものに苦労したことはない」と母は話していましたが、「田舎」のよかったところでしょうね、勿論、質素だったでしょうが。
ordori
2016年02月06日 12:42
戦後生まれで、田舎育ちの私は、小学生の時は脱脂粉乳、中学生の時は瓶牛乳が給食でした。勿論いずれの時も弁当持参です。

弁当のおかずは、塩鯨、昆布の佃煮、高菜の漬け物、まれに卵焼き等、塩気が有ればご飯がすすむという代物ばかり。

そんな食生活ですから、給食で出る脱脂粉乳は喜んで飲んでました。嫌いな同級生は確かに多かったので、他人の分まで喜んで飲ませてもらってました。
今考えると、ちょっと浅ましいですよね。
人生ゆっくり
2016年02月07日 10:13
そうですか、一方では「好きな方も、おられた・・」のですね。
「鯨」も思い出ですが、「塩鯨」・・?、「食べ物の思い出」は、結構、印象深く残っているのではないでしょうか。

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