佐和山城  -1682

琵琶湖東岸の「小旅」シリーズ最後の記事です。

石田三成の居城だった佐和山城が、彦根にあったことは不覚にも知りませんでした。
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関ヶ原の後、彦根に移封された井伊藩主が、三成の居城だったのを嫌ったのか、新しく彦根城を造りました。その築城の際に佐和山城の石垣や木材などは転用され、後は徹底的に破壊されたそうです。

現在は城址として見るべきものは殆ど無いようですが、駅近くなので、登ってみたかったです。でも台風による強い雨が降ってきて、観光案内所の方に「止めた方がいいと思います」と言われました。
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彦根滞在中のホテルで観た、この夜の大河ドラマ「真田丸」は、なんという偶然でしょうか石田三成の切腹シーンでした。
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サスガ地元ですね、三成ファンが集うイベントがあったとのこと、講演会の後、皆で大きなテレビ画面を観たとのことでした。
翌日のニュースで知りました。

その会場には、涙を流す女性が、何人もおられたとのこと。歴史的には、どちらかというと三成は「嫌われ武将」だと思いますが、ファンの方がおられるのですね。それとも「地元ゆえ」のことだったからでしょうか。
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最近テレビに、こんな写真が出てきました。
歴女ファンがおられるらしいです、驚きました。少し前は長宗我部元親がブームだったと聞きましたが・・、戦国武将ゲームがその背景にあるとのことです。そんなものに踊らされるとは、女ども (またもやの差別発言)そんなんでいいのかと思いますけど。
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私は関ヶ原から、徳川についた旧豊臣の武将は好きでないです、矜持(きょうじ)がないです。
ただ「ねね」が家康に心を寄せ、庇護されたことからのことなのかも知れません。「三成を嫌った故・・」とする物語も多いですね。
旧豊臣の武将は、福岡柳川藩の立花氏以外は結局、徳川に滅ぼされたわけですから、「ああ無情・・」ともいえますけど。
「人生・・さまざま」です。戦国時代の物語は、いろいろと空想・妄想が広がり、面白いですね。

とはいえ三成・・、いろいろな描き方がありまして、彼への気持ちは右往左往してしまいます。実際のところ、どんな人だったのでしょうね。

何日も彦根に滞在したのに佐和山に登れなかった、・・やはり残念です。

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