雲仙の旅館 -1940

今回泊まった旅館は、雲仙温泉では、グレードの高い旅館とのことでした。

先の天皇陛下も泊まられた旅館とのことでした。なので広大な庭園がある「純和風旅館」だと、勝手に想像していました。
内部は和風でしたけど、外観はホテルでした。雲仙地獄から撮った写真です。
右の建物最上階の右の方が、皇族方が宿泊されるゾーンのようでした。
画像

夕食は部屋食でしたが、私はどちらかというと、騒がしくないのが前提ですが、皆で一緒に食べるほうが好きです。
画像

翌日の朝食会場から見下ろした「雲仙地獄」の光景は、やはりスゴイです。
画像

部屋からも、こんな風景が見えました。
なんとなく露天風呂の雰囲気で入ってみたくなりますが、温泉玉子になってしまうそうです。
ここの周辺に旅館の庭園があったようですが、時間に余裕がなく見れず残念でした。
画像

フト何の関係もなく、50年前雲仙YHに泊まった時、大広間(旅館を転用したYHだったのでしょう)で「伝言ゲーム」をやったことを思い出しました。
一列に並んで、長めの文章を後ろに伝達するものです。当時も記憶力が衰えていて苦手でしたが、同様の若者が多いらしく、この時も、元の文章とは似ても似て付かない文章になっていました。
ユースホステルでのゲームは嫌いでしたけど、いろいろと記憶に残っているのが・・不思議です。

もう十分に雲仙を満喫した・・といいたいところですが、まだまだ見たいところがあります、平成新山を仁田峠から観てみたいです、できたら紅葉の時期に・・。
一時、住んでいた熊本から、有明海の向こうに、普賢岳はよく展望できます。普賢岳の火山活動が活発な時は、砂ぼこりをあげて崩落している光景が、よく見えたそうです。

島原の火砕流跡を、一度だけでいいのですが、合掌しながら見てみたいです。

この記事へのコメント

ordori
2019年06月28日 21:24
「島原大変、肥後迷惑」という言葉が有ります。江戸後期に普賢岳の噴火と地震で、眉山という山が山体崩落し、有明海に流れ出、津波が熊本や天草に押し寄せ、多数の死者が出たそうです。
平成三年の大火砕流も、当時地元のテレビで何度も放映され、今でも目に焼き付いています。
人生ゆっくり
2019年06月29日 09:28
江戸時代にも、そういうことがあったのですか。
歴史は繰り返すといいますが、過去の災害は、忘れてはいけませんね。
2019年06月29日 10:04
そういえば伝言ゲーム しましたね。
懐かしいひびきです。
普賢岳には 17~8年前ごろに
行きました。あのあたりが火砕流の
あったところですと 説明してもらい
ましたが 緑に覆われて綺麗になって
いたような記憶があります。
自然の力は たくましいなと思いました。
人生ゆっくり
2019年06月29日 15:11
雲仙は花が咲いたり、紅葉もキレイだそうですが、そういった時期には一度も行ったことがありません。
数回行っただけで、全てが分かった気持ちになるのは、その土地に申し訳ないですね。

この記事へのトラックバック