ギブミー -1967
戦後の頃、私は幼くて、「ギブミー・チョコレート」の光景は知りません。そもそも山国の田舎でしたしね。
毎年8月になると、戦中戦後のドキュメンタリー番組が放映されます。
そういった中で、いつも心が痛むのは「ギブミー」の映像です。
でもチョコレートを与える米兵は、多分、いい兵隊さんなのでしょう。
少なくとも、野原を逃げる少年を笑いながら機銃掃射した米兵とは全く違うと思います。
子供たちは必死ですね、甘味どころか食べ物がないのですからね。
この写真で、手を出そうか躊躇している子供がいます。何か引っ込み思案だった昔の私を想像してしまいます。
昼に帯ドラマが放映されています。山梨県の田舎に米兵運転のジープが突然やってきて、気立てのよさそうなハーフの米兵が娘にチョコレートを与えます。
昔のことを思い出しました。
ごくごく小さい頃でした。広島県境から走り下りてきたジープが、私の家の前の空き地に停車しました、その人が初めて見たアメリカ人(多分・・)でした。おずおずと近づくと、チョコレートではなかったと思いますが、キャラメルかガムか何かをくれました。
今でも覚えているのは、やはり「嬉しかった」からでしょうね。
この記事へのコメント
物心付くころには、食べ物に不自由は無かったです。
専らおやつはサツマイモ・トウモロコシ・トマト・柿の類ですが。
10月5日に同期会実施、22名集まりました。懐かしの曲を合唱しましたが、ぶっつけ本番なのでボロボロでした。
田舎は、こういう「いいこと」もあるようです。
写真のような光景は 記憶にないです。
が 子供の頃 進駐軍という言葉は よく耳にしました。
兵隊さん 進駐軍と聞くと 急いで 家に入ったような
気がします。
そういったもので、今後も忘れないようにしたいと思います。
「ギブ ミー チョコレート」は大人に教えてもらったのですが、ついぞ使う機会はありませんでした。
疎開先では、特に食べ物に困った記憶はありませんが、東京に引き揚げてからは、大変でした。一升瓶に玄米を入れて棒でつついてぬかを取ったり、コーリャンや麦飯もずいぶん食べました。相模湖や千葉へイモを買い出しに行った記憶があります。汽車が込んでいて、子供の私は窓から出入りするほどでした。
栄養状態が良くなくて、おできがよくできました。大森に「おでき薬局」などという薬屋があったくらいです。
ひもじい思いをした時期でした。
食べ物にまつわる思い出は、いつまでも残ることでしょう。