大阪万博 -2075
大阪万博は規模・人出の両面から、当時の国内では比類のないくらいのイベントだったと思います。
高度成長期の真っただ中で、後に来るドルショックや石油ショック、またバブル崩壊などは、頭の片隅にもない時代でした。
大阪万博には2回ほど行きましたが、今もいくつか記憶に残っています。
大行列のパビリオンは避け、沢山のパビリオンを訪れたと思いますが、正直、印象は薄いです、かなり昔のことですしね。
人気ナンバーワンのアメリカ館で「月の石」を見たかったのですが、とんでもない行列で早々に諦めました。夕方、人気を二分していたソ連館に行くと何と30分ほどで入場できました。。
ここにも宇宙関連の展示がありましたが、人気は、完全にアメリカ館の「月の石」に負けていましたね。
ショップで赤軍合唱団のレコードを購入しました。ものすごいまでの圧倒的な迫力で、特に高音と超低音の広がりが素晴らしくて、今も時々聴いています。「赤軍」という名前には少し抵抗がありますが、今となっては時代を映しているようで・・。
私は見なかったですが、「人間洗濯機」がありました。「洗濯機の三洋電機」の展示館で、水着美女がカプセルに入ると、自動的に体の隅々までも洗ってくれる洗濯機だったようです。バカバカしいと思いましたが、今も「大阪万博」の回顧番組には、必ず登場します。
私もそうですが、何となく見てみたかったという思いの方は、結構おられるのでは・・。
太陽の塔を中心とした「お祭り広場」の雰囲気は今も覚えています。
私が行った時は、「各県デー」の一環で、どこかの県の踊りなどが盛大に披露されていました。参加された方々は、今も印象深く覚えておられることでしょうね。
決定した2回目の大阪関西万博、今更・・とも思いますが、どのような万博になることでしょうか。
今、国には「お金」が全くないと思います。コロナの「大盤振る舞い」をいつまでも続けるのはムリだと思うのですが。
わが宰相「その指摘はあたらない」の常套句で突き進んでいかれるのでしょうか。
倉庫を整理していた時「日本万国博覧会」公式ガイドが出てきました。
訪れたパビリオンにマーキングしていました。
「ソビエト連邦館」「イタリア館」「日立グループ館」「みどり館」「古河パビリオン」「アイ・ビー・エム館」「鉄鋼館」「日本館」「三菱未来館」
2日間訪れましたが、このくらいしか行けませんでした。他には日本庭園やエキスプランドなどもあったらしいですが、とても行けませんでした。
ただアフリカなどの合同館は何度か通りました。殆ど素通りでしたが、ガイドブックをみると、それなりに日本語が堪能なコンパイオンの方も配置されていたとのこと。
もっとユッタリとした日程で巡っていれば、彼女たちとも会話できて、もっと楽しかったことでしょうね。
サテ2025・・どうなることでしょう、私はコロナを勝ち抜けて、元気でしょうか。
この記事へのコメント
数年前、JAXA見学の折、月の石を見たように思います。
パビリオンを全部見るなら、1週間通い詰めないと無理でしょうね。
つくばの科学万博は、子供二人を連れて、現地一泊で行きました。
花と緑の博覧会は、京都の勤務先寮に一泊して、会期二日目に行ったのですが、
なんと「ウォーターライダー転落事故」が発生したのです。
当時私は国際関連部門勤務だったこともあり、ウォーターライダーが勤務先大阪支社が受注していたことを、事前に知らなかったのです。
知っていたら見学を止め、なにがしかの手伝いにはせ参じたかもしれません。
「JAXA・月の石」、どこでご覧になりましたか・・?
コロナの蔓延がひどいので、12月から合唱は休むことにしました。
医療崩壊寸前、一部は崩壊しているのに、GO TOを強行する無策の政府は頼りになりませんので、自衛するしか方法はありません。
早く収束してほしいです。(小遣いが余ってきました)
それしか覚えていないです。
今度は それ迄 元気にいたらの話ですが ゆっくり
行ってみたいと思います。
財源は?そんな心配は 知事さんにお任せします。
きっと 素晴らしい 万博になると信じて それ迄 生き延びましょう!
そういえば、そんなイベントもありましたかね。
「小遣い」・・確かにお金を使いませんね、今更、貯金しても仕方ないですけど。
フラバーバさん
私は昔以上に「行列」が嫌いになりましたので、多分、行くことは無いでしょうね。
どうぞお元気で楽しんできてください。