私が入社した頃 -2193

これは埼玉の新工場がスタートした翌年の入社式後の記念写真です。
この新入社員で従業員数は、一挙に二倍になりました。「いけいけ」の頃でしたね。
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昨日は4/1、晴れて入社式を迎えられた方も多かったことでしょう。
いろいろな困難を乗り越えての入社、おめでとうございます。

以前の国会の委員会質疑で、こんな質問がありました。
「コロナ下で、会社訪問とかで会社研究をすることが難しく、入社後、こんな会社とは思わなかった、という学生が沢山いる」為政者として、どう考えるのか ?。

何でしょうね、この甘ったれた議員と・・そうした雰囲気。
確かにコロナ下では、様々な就職活動への支障はあるでしょう。でも、そもそも様々な就職誌を読んだり、先輩を訪問しても実際のところは、殆ど何も分からないと私は思います。

「エイヤー、やってやれー」という気持ちが最終的には必要だと思います。

私の就職試験の頃は高度成長期でしたので、後から思うと就職はし易い状況だったです、それを割り引いて以下を読んでください。

私が入社試験を受けた頃は、無料の就職情報誌やインターネットなどはなく、その会社の唯一の情報は就職課でもらった会社案内と、書店で立ち読みした「株の本」だけでした。「ヘェ―」こんなに大きな会社なのかと思いましたが、ともかく呑気なものでした。

大阪中之島(当時)の関西支社で選考試験を受けましたが、課題論文や試験は妙に簡単でした。数日後「人事第二係長」名の「内定電報」が下宿に届きました。早々と内定が決まって、それは嬉しかったです。

「技術系」学生志望のランキングでは、その頃もトップだったようですが、「事務系」ではトップ100にも入っていませんでした。
高度成長期で事務系の「優秀?な人材」の確保には、それなりに苦労していたのでしょう。

新幹線に乗っての赴任の時、「どういう会社」なのだろう、「どんな雰囲気の職場」か、いろいろな思いが浮かびました。
やがて東京駅に到着、ここから「よみうりらんど駅」の寮までにたどり着かなければなりません。東京は路線が複雑で正直、途方にくれました。

何とか駅にたどり着き、沢山の荷物を抱えての上京でしたので、駅から寮まではタクシーを利用しました。
大きな独身寮でした、2人部屋でした。
これから、どんな生活になるのか・・、またまた様々に不安がわきあがってきました。

何も分からず入社したのにも関わらず、幸か不幸か定年まで在籍しました。色々ありましたけど、結果的にはマズマズでしたかね。

今、就職活動をしている方は沢山おられると思います、いろいろな思いや不安があるのは当然です。
会社訪問などでも不安は残ると思いますが、最後は腹を据えて、「ドント来い」という気持ちでチャレンジしていただきたいものです。

どうか、ご健闘のほどを・・。
人事の立場で「採用面接」に、何度も立ち会いました。若い青年たちの未来に「幸あれ」と願うばかりです。

「人事」をキーにした、異業種の会社の仲間との「つきあい」は綿々と続いています、残念なことに、しばらく前からコロナで中断しています。
会社で働き続けると、こんな「つきあい」もあります。金沢や諏訪から毎回参加する人もいます。

会社勤めの楽しさは、こんなこともありますよ・・、という思いを伝えたいです。
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この会は、近年、年数回の宴会の前に、講師役がメンバーにいるので、歴史ウォーキングをするのが恒例になっていて楽しみでした。
ただ最近、足が衰えてきましたので、サテ交流会が再開されても、この会への参加を続けることができますでしょうか・・。
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この記事へのコメント

loafer
2022年04月03日 10:11
私が社会人になったのは1963年(昭和38年)ですので、受験はその前年の夏休み前からでした。
学校推薦が優先で、就職部の前に張り出されている求人票と指定学部を見て、求職票を出すのですが、成績順に推薦されるので、なかなか思うような受験はできませんでした。
飛び込みで受験できた会社もありましたが、最後の面接で、どうして学校推薦に応募しなかったのか?等と問われました。
リクルートセンターが出来たばかりで、5,60社が1冊に収容されたブックを手に入れましたが、自分の就職にかなう会社はありませんでした。
金融機関は筆記試験が無く、面接が毎日ありました。ある都市銀行に行ったら、役員の秘書が高校の同期生の女性だったので、吃驚しました。面接はうまくいったと思ったのですが、支持政党迄聞かれました。金融機関に活動家が入ることを警戒していたようです。自民党と答えれば入行が決まったでしょうが、私は社会党右派と答えました。何故だと問われました。批判勢力が必要だからと申しましたら、君は自民党が野党になったら、自民党を支持するのかと問われ、すぐには返答できませんした。その夜電報が来て、もう一度来いとの連絡でした。全く畑の違う広告会社の筆記試験の感触が良かったので、そちらの面接を優先したのです。もう古い、古い昔話です。
人生ゆっくり
2022年04月04日 11:26
就職環境は大きく変わりましたね。
いずれにしても、現在の方が、いろいろと厳しいような気がしています。