「広島市」の思い出  -1130

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県庁所在地シリーズ、第5回目・・広島です。
私の実家からクルマで走ると15分くらいで鳥取県と広島県の県境にたどり着けます、なので昔から親しみがありました。

テレビの「けんみんshow」で、広島県には「安芸の国」と「備後の国」の対立があるといっていました。それは知りませんでしたが、近いので私は備後(びんご)派でしょうね・・。

それはそれとして・・「広島市」です。
私は、国内で住みやすいのは、絶対に「地方の大都市」だと思っています。どうみても暮らしやすいですし、何といっても食べ物が新鮮で旨いです、人情もあります。

文化的にも、都内のように夜な夜なコンサートが開催されているなんてことはありませんが、年に何度かは著名なオーケストラもやってきます。巡回美術展などに行くと、都内での開催とは違い、実にユッタリと鑑賞できます。
そんな「地方の大都市」の一つが広島です。

広島市には、いつも「明るさ」を感じます。
かっての悲惨な出来事を思うと、尚更です・・。でも、それがあったからからの「明るさ」なのでしょうか。あの「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ」・・を感じます。

原爆のことは、今も「しっかり」と受け止めなければいけないと思います。初めて原爆資料館を訪れた時のショックは、今も鮮明です。
そのおりだったでしょうが・・、よく知られていた「銀行の玄関先に座っていて被爆した人の影」を現地で見ました。影は薄くなっていましたが、それでもハツキリと見えました。移設されたと聞いたように思いますが、現在は何処にあるのでしょうね。

広島には幾度となく訪れました。
学生時代に宮島を訪れた時は、管弦祭の当日で勇壮な祭りを見学しました。
ツアーでも宮島を訪れました、紅葉谷の紅葉は少し時季がはやかったですが・・。
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新設された広島工場の採用活動を手伝ったこともあります。
その工場はエルピーダの工場になりましたが、事実上の倒産のようで・・少し悲しく思っています。

埼玉時代に懇意にしていたママが、 繁華街の流川に帰っておられ、バドミントン日本リーグ広島大会の時、夜、訪ねて、時を忘れて大いに歓談しました。

十重二十重に思い出は重なってきます。
「明るい」広島が、私は大好きです。

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