旅「津和野」③ 殉教碑・マリア聖堂  -266--

津和野で一番、印象的だった場所です。

津和野の、こういうところに、こういうものがあるのは全く知りませんでした。持っていた観光案内にも載っていませんでしたし・・。

永明寺の山門から、標識にしたがって左に折れ、谷あいの道を登り、少し息切れしそうになった山かげに、「殉教者の墓」はありました。

石を積んだ四角の台座がつくってあり、その上に木製の十字架を冠した2メートルあまりの大きな石が置いてありました。
石には「為義而被害者乃真幅」と刻まれています。
キリシタン殉教者の・・墓でした。

津和野藩に、長崎から隠れキリシタンが送りこまれて、拷問の後も、棄教しなかった36人が殉教したとのこと。何と、明治元年のことだそうです。

墓碑横の殉教者名簿を見ましたら・・、「マリアさめ75歳、ペトロ新三郎2歳、「不明」八十吉1歳、・・・」

1歳や2歳・・親が棄教しなかったので・・ということでしょうか。
それにしても、それらの文字・・、思わず涙が出そうになりました・・。

キリシタン受難は、理不尽な出来事です。何回も出張で行った長崎県五島列島でも、処々で悲しい物語を聞きました。
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殉教碑をみた後、気を取り直して散策し、その殉教の地にたつマリア聖堂にいきました。
昭和26年に殉教者を慰霊するため建てられたそうです。

少し夕暮れが近くなっていた時間でしたが、一人の女性が、建物をじっと見つめていました、何か、聖堂と会話しているようにも思えました。

下の写真は、その時のマリア聖堂です。
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この記事へのコメント

2007年08月21日 07:29
おはようございます。
当時視外国から轟々たる非難を浴びたと言う、津和野での迫害と殉教。
この地で殉教された方たちばかりでなく、長崎浦上から徒歩で津和野まで送られる道中でも大勢のキリシタンがなくなったという話ですね。
両手首をつながれ、引きずられるようにして津和野までたどりつき、拷問の果てに亡くなった人たちの唇から最後まで神様の名が消えることはなかったと・・・
人生ゆっくり
2007年08月21日 09:09
こういう話の時は、いつも遠藤周作の「沈黙」を思い出します。
そして何とも言いがたい気持ちになります。

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