震災遺構 -1759
神戸のメリケンパークに行ってきました。
中2の修学旅行で「メリケン波止場」に行きましたが、ただの岸壁で、どうしてこんなところに来たのか、よく分かりませんでした。
ここに阪神淡路大震災の遺構が保存されているのは知っていましたので、見てきました。
涙が出そうな光景です。
あの地震の時は熊本に単身赴任中でした。いつもながら「早く目覚める」私は、早朝4時頃には起床していました。
テレビの画面は、何のアナウンスもなく大阪の御堂筋を映し続けていました。異様な雰囲気を感じました。
会社に出勤し、テレビ画像を見て、とんでもないことになっているのを知りました。
慌てて関西の姉・弟に電話しましたが、全く通じませんでした。
こういう状況だったのですね。
メリケンパークというだけに、震災遺構を別にすれば雰囲気のいいデートスポットですね。
入院していた弟が、先日、長い旅に出てしまいました。倒れて以来、一度も会話はできませんでしたが、三か月間、よく頑張ってくれたと思います。
下の写真は彼の部屋の天井です。あの大震災の時、照明器具が激しく回転し、その結果として天井に円形が描かれたようです。
この部屋だけは、大震災を忘れないために、いくら汚れても張り替えなどはしないと言っていました。
いろいろと思い出が蘇ってきます。
中2の修学旅行で「メリケン波止場」に行きましたが、ただの岸壁で、どうしてこんなところに来たのか、よく分かりませんでした。
ここに阪神淡路大震災の遺構が保存されているのは知っていましたので、見てきました。
涙が出そうな光景です。
あの地震の時は熊本に単身赴任中でした。いつもながら「早く目覚める」私は、早朝4時頃には起床していました。
テレビの画面は、何のアナウンスもなく大阪の御堂筋を映し続けていました。異様な雰囲気を感じました。
会社に出勤し、テレビ画像を見て、とんでもないことになっているのを知りました。
慌てて関西の姉・弟に電話しましたが、全く通じませんでした。
こういう状況だったのですね。
メリケンパークというだけに、震災遺構を別にすれば雰囲気のいいデートスポットですね。
入院していた弟が、先日、長い旅に出てしまいました。倒れて以来、一度も会話はできませんでしたが、三か月間、よく頑張ってくれたと思います。
下の写真は彼の部屋の天井です。あの大震災の時、照明器具が激しく回転し、その結果として天井に円形が描かれたようです。
この部屋だけは、大震災を忘れないために、いくら汚れても張り替えなどはしないと言っていました。
いろいろと思い出が蘇ってきます。
この記事へのコメント
肉親との永遠の別れ、お慰めの言葉も見つかりませんが、どうかくれぐれも御身お大切になさってください。
やがて気が晴れる時がやって参ります。その時が来たら、また一緒に歌うことを切に願っております。
阪神淡路大震災の2カ月後くらいに、関西へ出張する機会があり、その折三宮で、ビルがつぶれていたり、アーケードが崩壊した様子を目の当たりにしました。
地震、風水害など自然災害に備える必要を痛感しました。
まだ現実のこととは思えません。
あげます。
私も 妹を早くに亡くしましたが
兄弟との 別れは 自分の体の一部が
亡くなったような 特別な 感情がわいて
きます。人生ゆっくりさんの ご心痛
深く お察し申し上げます。
早く お元気になられますよう 祈って
おります。
メリケンパークに こんな 遺構があった
なんて 知りませんでした。
でも 見たくない風景です。
神戸の出来事は、ずっと昔のことですが、何かをキッカケに蘇ってきます。