就職列車 -2102

3月のこの時期になると・・いつも私にとっては様々な思いが浮かんでくる「思い出」があります。
高度成長期の頃、地方から就職列車で上京する赴任者は多かったです。

当時、メーカーにとっては工場要員の「労働力確保」が、会社の存続にかかわる最大の課題でした。私自身も入社したてで、人事勤労部門に配属されていました。

少し前の時期ですが、「金の玉子」なんていう言葉もありました。
ブログ・集団就職.JPG
上野駅で就職者を乗せた夜行列車を出迎えたことがあります。採用グループの手伝いで、早朝に寮を出て駅に向かいました。
列車がホームに到着する寸前、各社の担当者が一斉に小さい社旗を広げて出迎えるのは面白い光景でした。

↑ このテレビでの写真、家族の方でしょうね、窓の外の人々の「万感のこもった」表情を見ると、いつも泣けそうになります。特に右のお母さんらしき人、左のお父さんらしき人の表情は、とりわけです。
複雑な感情の妹や弟の笑顔・・、可愛がっていたのでしょうね。

この写真は、私にとって何度見ても「心を動かされる」というか、いつも涙が滲んでくる写真です。中卒の年齢での、遠い所での勤務、不安がないわけがありません。
私が入社した会社では、中卒採用は数年後に取り止めましたので、私が出迎えたのは、この頃が最後だったのかもしれません。

上野で無事、全員と対面したのですが、やはり不安そうな表情でした、若かった私は正直どう対応したらいいかと悩みました。
しかも、やっと「東京」に着いたのに、当時は上野から勤務地の相模原までは、更に延々と時間がかかりました。

座席夜行では眠れなかったでしょう。やっと上野に着いて、更にまだ続く乗車時間、私は彼らの状況がよく分かりましたので、同情しつつも「頑張ってくれ」という気持ちでした。ただ昼間の電車でしたので空席が多く、全員座れ眠っていたのが幸いでした。

最寄り駅から寮にタクシーで送り届け寮長に引き渡しました。
その後、自らの住まいの独身寮に帰りましたが、ドドッと疲労が襲ってきたのを今もよく覚えています。

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この記事へのコメント

アールグレイ
2021年03月24日 06:33
お早うございます。15歳には不安だらけだったと思います。私は内気で甘えん坊だったため、こういうニュースをみていた時、胸がひりひりと痛みました。でも寂しさが多く占めていたとしても、都会に出る高揚感も少しはあったのかなと思うのですが・・・この写真の時代は、今よりは健全だったと思います。
loafer
2021年03月24日 10:34
今は夜行列車は出雲、高松行きの寝台特急以外なくなってしまいました。
企業は人手の確保が必須の代でしたが、その後生産ラインの自動化がどんどん進んだのでしょう。
半世紀で世の中がすっかり変わりましたね。
人生ゆっくり
2021年03月24日 18:05
アールグレイさん
なるほど「都会に出る」高揚感は、あったのかもしれませんね。私の中学校は田舎なので、卒業後に就職する者が多かったです。
当時は、希望を沢山いだいて赴任する雰囲気ではなかったと思います。

loaferさん
当時は、寝台ではなく座席夜行が普通の時代でしたから、何かと大変でしたね。
私も京都から帰省する時は、いつも座席夜行でした。懐かしいといえば、そうとも言えますが、苦行でしたね。
2021年03月24日 21:28
昭和30年代は 中学 高校の頃ですが
集団就職の様子は テレビのニュースで 知るくらいで
他人事のように思っていました。
15歳で親元を離れ 慣れない土地で 働くことに
不安があったでしょうね。でも その方たちのお陰で
日本の経済成長があったわけですね。
活気のあるいい時代でしたね。
人生ゆっくり
2021年03月25日 10:51
確かに日本経済の基盤を支えていましたね。
それにしても、昔のことになりました。何とかブログなんぞを書いていますが、最近の電気製品などにはついていけません。
アールグレイ
2021年03月26日 09:03
訂正させてください。
心細いの一言だったと思います。15歳の時の心情に思いをはせていませんでした。それと、北海道からは集団就職は少なかったのではないかと思います。